
※このインタビューは2008年12月に収録されたものです
一番最初は、ボンズの渡辺マコトさん(プロデューサー)から、話を振られたのがきっかけだと思います。
そのとき渡辺さんからは、いわゆるヒーロー物――『仮面ライダー』とか『ウルトラマン』みたいなものができないか、って言われたんですけど、それを僕に振る時点で「正気なのか?」と思ったんですよ(笑)。
自分自身、映画を見るときもそうなんですけど“どちらかをやっつければ勝ち!”みたいな映画を、強いて好んで観ないこともあって、「もう全然無理だよ!」と。
すごい水と油をぶつけてきたなあと思いながらも、「無理です」って言うのもイヤだし(笑)。
で、「何かできないかな」って考えているうちに“ヒーロー物”って枠組を決めると、やりたいことが見えてくる感じがあったんですね。
それこそ「死刑制度は是か非か」だったり、“母と子”みたいなテーマだったり、あとは「自分が死んだ後も魂は残るのか」とか……。
血の繋がりというとヘンですけど、これまで死んでいった人の記憶の積み重ねとか、その重さによって、自分が今、ここに存在している。
それってつい、忘れがちなことなんですけど、でもそういう話ができるんじゃないかな……というところから、始まったような気がします。
「わからない」ことが正解……というとオカシいんですけど(笑)、そういうものにしたいというのはあります。
というか、みんなが善意でやっていることが、ああいう状況を招いている、ということをやりたかったんですよね。
例えば、誰かがどこかを攻撃している。
でも、それは善意の上での行動で、それに巻き込まれる形で――主人公と主人公のまわりの社会が、軋むようにガッと変わってしまう。
それもひとつの力じゃなくて、2つも3つも力が絡みあって、一気に――しかもよくわからないままに、彼らを取り巻く世界が展開していく。
ちょっと先の話になっちゃうんですけど、第16話でナキアミが、南の軍艦が空を飛んでいるのを、見上げるシーンがあるんですね。
南の軍隊といえば、ハルが訓練を受けているところでもあるし、観客からすれば、正義の側にあるもののようにそれまでは見えていた。
……けど、その軍艦を、ナキアミは“自分たちを威圧するもの”として見ているわけです。
そのイメージのきっかけになったのは、ベトナム戦争当時の沖縄の話で。
ベトナム戦争のときに、沖縄からどんどんアメリカ軍の飛行機が飛んでいくんですけど、そこで暮らしてたり、旅行しているときは、その飛行機の音を環境として聞いている。
でも一方でベトナムには、同じ音にすごく恐怖を感じている人もいるわけです。
今、敵に見えているものが後で味方になったりとか、あるいは味方に見えているものが、別の人にとっては恐怖の対象に見えるとか、そういうことをやりたいなと思っていたんですよね。
取り立てて“反逆の人”というわけじゃないんですけど、自分が学生だった頃とか、世の中が少しずつわかってくるにつれて、怖さと自分の無知がわかって、グラグラ来た感覚があるんですよね。
日本で、差別の問題っていっても今いちピンと来ないんですけど、一歩、海外に出るとすぐにわかったりとか。
そういう意味で言えば、自分がアニメーターじゃないからというのが大きいんじゃないか、と思います。
要するに、絵を描くことでどんどん現実からファンタジー、嘘の世界に飛躍するというのも、アニメーションの手のひとつなんです。でも、自分はそこが一番の魅力だとは思ってないんですよ、たぶん。
むしろ「日常生活って何なんだろう?」とか、「人間の仕草って何だろう?」とか、あるいはお芝居のリアリティ。ある世界観を想定した上でそれをメタファーにして、自分たちが今、暮らしてる世界みたいなものを逆照射したい。
そこから新しい発見ができるんじゃないか、と思ってるんですね。
例えば「北って何だ?」「テシクってどういうヤツらなんだ?」とか、そういう疑問とか知りたい欲求は、出てくると思うんです。
もちろんそれに対する答えを持ってないと、作品は作れないんですけど、同様に「パレスチナって何だ? 説明してくれ」とは、思わないわけですよね。
アニメのなかの世界に対しては、そういう気持ちを持つのに、現実になった途端に、どこか遠くで起きていることになってしまう。
もちろん、そうじゃない人もいるんですけど、そういう遠くで起きていることに関しては、わからなくて済ませられることに、疑問を感じちゃうんです。
もちろん自分自身もそういう人間だったんですけど、ちょっと海外旅行をするだけも、一気に興味が広がったりする。
そういう、自分と自分が関係している世界が開いていく感じ。
一番面白いのは、そういうところなのかなと思ってるんですよ。
そうかもしれないですね。
たぶん俺自身が、そういうことに興味があるんでしょうね。
もちろん自分のなかにも、ひとときの娯楽として映画を観たり、物語を読んだりすることがあるし、だからこそ「我を忘れるな」ってセリフがあったりするわけで。
「ファンタジーに溺れないで」というか、「そっちに行きっぱなしで、戻れなくなっちゃマズいよ」みたいなニュアンスを込めてるんですけど。
……って、なんでこんなアホみたいなテーマをわざわざ説明してるのか、だんだん恥ずかしくなってきちゃったんですけど(笑)。
うーん、どうしてそうなったのか、よく思い出せないんですけど(笑)、実を言えば企画を始めて、比較的早い段階で、26本のおおよその構成というか、お話の流れはできてしまったんですよ。
それは、アニメーションディレクターの奥村さんとか、スタッフのみんなで相談しているうちに「こういうふうにしよう」っていうのを、1回、俺が作ったんですけど……。
前半と後半で、意図的にすごく変えようという意識があったわけじゃないですけど、たぶん、見ている人に主人公たちを好きになってもらって、理解してもらうまでは、少し腰を落ち着けようという、のはありました。
ただ第4話の絵コンテをやっているときに、一人称から三人称に変わるようなコンテを作っておかないと、このあと群像劇になったときにヤバいぞ、とは思ってましたね。
あたかも主人公のアキユキから始まるように見せながら、同時に視点を世界のあちこちに点在させていく。
少なくとも、そういうことを予感させなきゃな、と。
で、それに関しては「上手く成功したな」と思ってるんですけども。
もうちょっとバカバカしい話の方がいいんですかね(笑)。
ただ第4話をやったときに、自分のなかですごく手ごたえがあったんですよ。
主人公が生きているところと、まったく別のところでもちゃんと世界は動いていて、全然関係ないようだけど、その時代に生きている自分……みたいなものが表現できたんじゃないかな、と。
それは、映画とか映像でしかできないことだと思うんですよ。
広い世界で、各々が「よかれ」と思ってやってることが、上手くいかなくて、悔しい思いとか切ない思いを抱えながら生きている人がいる。
そういう大きな群像の視点みたいなことができたかな、と。
そうです。
茨木さんの詩は、学生時代からずっと好きだったんですけど、「魂」と「敵について」のふたつの詩を使いたいな、と。
それは、この企画が始まるときに、プロデューサーに「許諾を取ってほしい」ってお願いしてたことなんです。
オリジナルの作品をやるときって、「あれをやりたい、これをやりたい」ってゴチャゴチャしがちなんですけど、この詩を指標みたいにして使わせてもらえると、一本筋が通せるかな、と。
ここからスタートして、ここで終わる作品になればいいな、と。
「敵について」は、茨木さんの『対話』っていうシリーズの一篇で、あそこに描かれてるのは、夫婦の対話なんですね。
でもそれが、あたかも一時期のソ連とアメリカの対立だったりに置き換えられるようにも読める。
これは拡大解釈なのかもしれないですけど、そういうニュアンスもあって。
で、そこまで敵を探そうとする積極性って何なんだろう? って考えると、実は「愛する人を見つけたい」って積極性と、実はそれほど大差がないんじゃないか、と。
愛する人が見つかると、自分の生が逆照射されて豊かになったような気がする。
それと同じように、敵を見つけたいということなのかしら、とか。
その疑惑は当たってるような気がします(笑)。
でも、なんか強い女の人が好きなんですよね。
だらしない俺を認めてくれるというか……って、それじゃ最悪だな(笑)。
ただ、強いだけじゃなくて、各々に弱さも持ってると思うんですよね。
でもそれを、うまく外に出せない。
フサも伊舟もそうですけど、照れ屋でガードが固くて、完璧に演じられちゃうからこそ、本当の気持ちを外に出せない。
そういう気分はあるのかもしれないです。
ただ、ハルだけはちょっと違うのかな。
彼女は、近代的な自我があるというか、今のアニメーションに出てくる現代っ子っぽいニュアンスを、一番含んでると思う。
彼女みたいな子がいないと、見ている方がどんどん置いていかれちゃうと思うんですけど、描いてるこちらからすると、ジレったくてしょうがない(笑)。
「こいつ、ボケー!!」って、だんだん腹が立ってくる感じがあって(笑)。
でも、見た人の感想を聞くと「意外とハルの気持ちがわかる」って言われたりして、「え、うそ!?」って(笑)。
ただそういう意味で言うと、折笠富美子さんに声をあてていただいたことで、自分のなかで見えてきたところも、確実にあると思うんですよね。
脚本と絵コンテをやってる間は「イライラするわー」と思ってたのが、折笠さんに声をあててもらった瞬間に「ああ、まんざらでもねえな」って(笑)。
あと、リュウゾウにしても、石塚運昇さんに声をやっていただいたことで、若干憎めない感じになってる。
あの飄々とした感じで深刻な部分を抱えているから、楽しいんだろうなっていう。
ずっと深刻な顔して、アレが家にいたら、フサじゃなくても「出ていけ!」ってなると思いますよ(笑)。
ああ、なるほど、そうですね。
確かに最初に話したように“母と子”みたいなものがテーマになるぞ、というのは、企画の最初の段階からあったことだし、ザムドという存在自体が、そういう部分を含んでますしね。
それはずっとコンセプトにあったんだと思うんですけど、そこにどんどん自分の感覚が入ってきちゃったというか。
だから、例えばフサに関しては、自分のオカンと自分の嫁の話が確実に入ってきてる(笑)。
だから、自分の家じゃちょっと見られない。嫁に見られたくない、みたいな(笑)。
不思議なもんなんですけど。

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